昔から女という生き物が苦手だった。
――どうして駄目なんだろう。
自分のことなのに人に聞いても仕方がないのだが、勇礼が最初にそう問うたのは兄だった。
兄は――優崇は、体が弱い。
その分、外にいるよりも本を読んでいることが多く、その分色々なことを知っていた。勇礼とそう時を変わらず生まれた筈なのに、心の奥底を見透かしたような目をする。
いや、実際、見透かされているのだろう。きっと、何もかもを。
勇礼に言わせれば、優嵩のほうがよほど真面目だ。勉強もするし、勇礼の話を最後まで聞いてくれる。どんなくだらない話でも、この良く出来た兄は聞いてくれた。
どうして、と詰め寄って
――ごめんね、僕も上手く言葉に出来ないのだけど。
兄は困ったように笑った。
――勇礼はまじめだね。
本当は、きっと優嵩は答えを知っていたのだ。
風は凪いでいたので、すぐにその気配に気付いた。降り立って、羽をたたむ静かな気配。
そもそもこのあたりに勇礼の知っている場所は少ないから、ここに逃げ込んで見つからないわけがないのだ。
「早速利用してくれているのは嬉しいんだけどネ・・・」
呆れたような声に横を見れば――木の上はバランスが悪いから、一応用心しいしいだ――実際、ほるとが肩を竦めている。
「先輩、鵬会のパシりっすか?」
「勇礼はもうちょい言葉選びなヨ。探すように頼まれたの!」
理由はすぐにわかった。鵬会に怒鳴られて飛び出してきたから、この面倒見の良い“先輩”は、勇礼を探しに来てくれたのだろう。そもそも、鵬会はこの場所を知らないし、勇礼に絶好の隠れ処を与えた責任の一端を感じたのかも知れない。
その割には、どっこいせとか年寄りじみた声と共に、勇礼の隣に落ち着いてしまった辺り、勇礼を積極的に連れ戻しに来たわけでもないらしい。その真意は測りかねたが、涼風が良い具合に吹くのですぐにどうでも良くなった。勇礼も、ほとぼりが冷めるまでは戻りたくはないのだ。
「鵬会、怒ってます?」
窺うように聞くと、さも面白そうにほるとは笑った。
「そりゃもう、かんかんサ」
「でしょうね」
見えなくても、今鵬会がどういう顔をしているかわかるような気がした。
鵬会は怒る。それはもう、烈火のごとく怒る。なのに、最後には決まって
「・・・心配も、してたんだけどネ」
「・・・・・・」
勇礼を心配するような、優しいような、悲しいような目をするのだ。それも、すぐに頭に描けた。
「・・・鵬会が、俺の事心配してくれてるってのはわかってるんです。でも、」
「苦手なものは苦手?」
無言のままで、頷いた。
勇礼は、女というものが苦手だ。ただでさえ苦手なのに、怒鳴られたりすればどうして良いのか分からなくなる。そして、鵬会があの優しいような悲しいような目をすると、もっと分からなくなる。どうしてなのだろう。
本当は、鵬会が自分を凄く思ってくれていることは知っているのだ。なのに、体が拒絶するように強張って、どうにもならなくなる。鵬会が悪いわけじゃない。それはわかっている。
「まァ、苦手なものは仕方ないヨネ」
「・・・・・・」
「理由、ないわけじゃないんでしょ?」
「・・・・・・」
ややあって、勇礼は、俺、といつの間にか、ずっと語るまいと思っていた切り口の言葉を紡いでいた。優嵩にしたみたいに、答えを求めたいのではない。ただ、何となく語ってみたくて、隣にいるこの人なら黙って聞いてくれるんじゃないか。そんなことを期待しながら。
「・・・俺は、女というものが苦手です」
思った通り、ほるとはうん、と相槌を一つしただけで、他に何も言わなかった。
「最初は、ただよく分からないだけでした。俺には、母親がいません。そもそも、俺たちの種族には・・・女がいなくて、」
段々と言葉が詰まって、自分でも何を言いたいのかよく分からなくなって、ちらりと横を覗いた。ほるとは、ただ先を促すように微笑んで、何も言いはしなかった。
勇礼は、どうにか言葉を探す。
「・・・種族を残すって事を考えれば、寧ろ女でない方が良いんです。バルジーナとか、他の種の雌に惹かれればその分減ってしまうから。他の種族の奴らがそうであるように、別に女を好きになったりとかしなくても良いんです。でも、それって全体で見れば普通じゃないでしょ?そうやって考えれば考えるほど・・・まるで、」
――己が歪なものだと、言われているようで。
「・・・なんかよくわからなくなってきました。やっぱ、考えるのって苦手です」
勇礼は、頭を掻いた。取り繕うように苦笑して、息を吐く。風が冷たいのがありがたかった。熱くなった喉の奥を冷ましてくれる。
感想を求めたわけではないけれど、ただ黙って聞いていたほるとがどんな顔をしているのか、気に掛かった。なのに、わしゃわしゃと遠慮なく頭を撫でられた。
「・・・何するんすか」
「いやァ、勇礼は真面目だなーと思ってネ」
不服も軽く流されて、奇しくもほるとの口から出てきたのは優嵩と同じ言葉だった。
「・・・どうしてそうなるんすか」
「そのまんま」
「それがわからないんすけど」
ほるとは微笑んだ。いつか兄がしたのと同じような、何もかもを見透かすような目で。
「勇礼はサ、真面目だから考えちゃうんでしょ?他の人が気にしないような瑣末なことでも、一生懸命に」
「なんか、真面目馬鹿って言われてるような気がするんすけど」
褒めてるんだって、と笑う。仕様のない子供に向けるみたいに(実際そう思われているのかもしれない)、諭す口振りで続けた。
「確かにサ、何かを諦めたり、都合の悪いことは見て見ぬふりをしたりするのって生きていると自然と覚えていくもんダヨ。賢い方法。そっちのほうがずっと効率的だし、何よりも楽だもの」
これは経験談、と言いつつ浮かべた苦笑が、何よりも雄弁だった。
世の中ってのは、どうしたって儘ならないものだ。酸いも甘いもあるけれど、大方そのようなものだとほるとは思っている。
「でも、必ずしも賢いことが正しいことだとは思わない」
諦めたつもりでも、簡単に割り切れないことだってあるのだ。ふとした瞬間に思い出したり、後悔をしたりもする。今更、どうにもできないけど、勇礼にはそうなって欲しくないと、この真っ直ぐと前を見据える目を見ると思う。
真っ直ぐであり続けることは、尊いことだ。その分、とても難しい。
「・・・どうせなら、考えて考え抜いてみると良い。そのうちにきっと答えが見つかるサ」
でも、今はただ見守りたい。
「・・・・・・」
勇礼は、その言葉を反芻してみた。そのうち、なんて本当に来るのだろうか。実に楽観的な言葉で、言ってしまえば無責任な言葉だ。
なのに、すっと胸の奥に落ちて響いた。叱ったり呆れたりしないで、そのままでいいのだと言われたのが純粋に嬉しかったのかも知れない。悪い気はしなかった。つられるように、硬く引き締めていた自分の口元が緩んでいるのに気付く。
「考えるにはもっと他人を知るのも大事ダヨ。人を知って、好きになれば、勇礼が思っているような理屈事ばかりじゃないって気付けると思う」
勇礼は、少し考えた。鵬会の優しいような、悲しいような目を思い出す。今もあんな顔をしているのだろうか。
しかし、どうすれば良いのかわからないとは思わなかった。我ながら単純で苦笑が浮かぶが――きっと、ごめんとありがとうを言えば良いのだ。
「・・・俺、鵬会のこと嫌いではないっすよ」
苦手だけど、と付け足すとほるとは、じゃあ帰ろうか、と言って笑った。
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・そういえば補足
勇礼に母親はいませんが 父親と 父母上様(元ネタ何人分かるだろう)がいます。片親と言うわけではありません。
ちょっと生んだメタモンが♂寄りだっただけです。
しかし「♂しかいない種→女性が苦手」という短絡的な発想だったのに、ここまで複雑な心境になるとは設定をつけた自分が一番驚きだったり・・・。
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