二人の少年がこの小さな町から旅に出た。
それが、二年も前のこと。
一人残った、「私」。同じようにこの町で育って、学んだ筈だったのに。
たった一つの、それでもどうしようもない壁に阻まれて、赦されなかった「私」。
「私」は、明日旅に出る。
履きなれないミニスカート。
鏡にくるりと回ってみせたけれど、やはり違和感は拭えなかった。
「博士、ポケモンを貰いに来たの」
朝になって、「私」は家のすぐ近くの研究所の門を叩いた。
これが、旅のルール。
博士は、「おお、待っておったぞ」と笑う。
きっと、二人を送り出した時もこんな顔で笑ったのだろう。
たくさんの人間を送り出した、慣れた笑顔。
「私」も笑い返す。なるべく自然に。この二年間、そうであったように。
旅の目的と与えられた図鑑の簡単な説明を聞き、ポケモンは、三つの内から一つを選び取る。これもルール。
一匹しか残っていなかったと思っていたのに、ボールは三つあった。
二人が選んだ後に、補充されたのか。そもそも数ある内から三つが用意されているのか。
それは「私」にはわからない。
「そうね・・・。この子がいいわ」
深い考えなんてなく、なんとなく真ん中のを手に取った。
紅白のボールが、驚いたようにカタ、と揺れる。中の子が驚いたのかも知れない。
それ以上の動きはなかったけれど。
「私」の選び取ったのを見て、博士は「ほう」と顎に手を当てた。しげしげと、目を瞬かせて。
「どうかしたの?」
「いや、不思議な縁じゃと思ってな」
「縁?」
「そのヒトカゲは、この研究所でも少々古株でな。・・・二年前、あの二人が旅立つ時に、一匹だけ残ったポケモンなんじゃ」
そう、と「私」は返事をした。
少しの驚きと、ふっと湧いた感慨を飲みこむ。
きっとこれは運命。そんな不確かな言葉は嫌いだけれど、そう思った。
「行ってきます、博士。きっと次に会う時には良い成果を報告するわ」
「それじゃあ、気をつけるんじゃよ――雛姫」
ええ、と「私」は笑って、研究所をあとにした。
その後で、もう一度家に立ち寄った。母は兎角心配性なのだ。
今回の「女の子」の一人旅だって、やっとのことで了承を得た。
そしてそれが、「私」が一人残った理由。
町を少し離れて、「私」――いや、俺は選び取ったそいつをボールから出してみた。
橙の体。しっぽの先で、頼りなげに燃える炎。
これが消えると死んでしまう、と図鑑にはあった。
どう見たって強そうではないけれど、どうやらこいつがこれからの俺の相棒らしい。
「ねえ、わかる?私があなたのトレーナーなんだよ?」
俺は、「私」のふりをしてそいつに語りかけてみた。
俺はこういう話し方は余り得意ではない。けれど、二年間押し通してきた「私」の話し方は、今では結構板についている。
母や周りの大人や社会なんかが要求する、年頃の娘らしい振る舞いだ。
男友達とつるんで育ってきた、はねっかえりの俺では、どうやら駄目らしいから。
ヒトカゲは、何故だか深々と頭を下げた。
平に平に。まるでひれ伏すみたいに。
どうしたの、と「私」は聞く。
ヒトカゲは、首を横に振った。何故か、目にいっぱい泪を溜めて。
「どうかしたの?――旅は、嫌?」
「すみません。そんなことはないんです。ただ、ただ嬉しくて」
言葉を詰まらせて、そいつは言った。雫が、ぽつりと大きな瞳から零れる。
ゆらり、と揺れるしっぽにその雫が掛からないか、少し心配になる。
「旅に出られるから?」
研究所は、そんなにつまらない場所だったのだろうか。そう思いながら尋ねた。
「いいえ。雛姫様に会えたからです」
雛姫様、か。
随分仰々しい言い方をする奴だとは思ったが、媚びたような嫌な感じはしなかった。
そんな奴はきっと、こいつみたいに綺麗には泣けない。
「私に会えたから?」
「ぼく、ずっと誰かを待っていたんです。それが他の誰でもない雛姫様だってわかって、それが嬉しいんです」
「馬鹿ね。私が良い人間か悪い人間かなんて、まだわからないじゃない」
「雛姫様は、どんな人間でも雛姫様です」
不思議なことを言う奴だ。不確かで曖昧な運命論を、心の底から信じている。
馬鹿か天然か。俺のパートナーはどうやらおめでたい性格らしい。
なのに、不覚にも泣きそうになった。何も知らない筈の、まだ名前もないこいつの言葉に。
「どんな――俺でも?」
恐る恐る、俺はそれを口にしてみた。
ヒトカゲは、少しだけ驚いたような顔をしたけれど、すぐに微笑んだ。
それは、蝋燭の灯す微かな炎みたいな、温かい笑顔で。
「はい。どんな雛姫様も、雛姫様です」
そっか、と俺はそいつの頭を撫ぜる。ほのおタイプだけあって、じんわりと温かい。
シンプルだけど、多分一番欲しかった言葉。
俺は俺でいいのだと、自分が一番信じられなかったから。
「そうだな・・・お前の名前、仄灯ってのはどうだ?」
どこまでも真っ暗だと思っていた道の上に、仄かに宿った光。
きっとこれは運命だ。
運命とか、希望とか、そんな曖昧で不確かな言葉大嫌いだけど、こいつとの運命は信じても良い。そんな気持ちだった。
「じゃあ、行くぜ仄灯!目指すはカントー制覇だ!」
「はい!雛姫様!」
こうして、俺たちは今日、旅に出る。
この先に何があるかは、わからないけれど。
とにかく、俺と仄灯で、旅に出るんだ。
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