「へえ、じゃあ勇礼はお兄ちゃんがいるんだ」
「まあ・・・はい」
「や、なんかわかる気がしてネ」
「なんすかそれ」
「勇礼、ブラコンだもんね」
「・・・叶にだけは言われたくない」
「ボクはブラコンじゃないもん、天河が可愛いからいけないんだよ。ねー天河」
「え?あ、あの、俺なんて答えれば・・・」
ほるとは、そのやりとりを微笑ましく聞いた。自分の知らない旅の話や、ポケモンの話。
この子たちにもそれぞれの旅があるんだなあ、なんて妙に感慨深く。
その最後に、ぽつり、と勇礼が尋ねるまでは。
「先輩は、兄弟とかいないんすか?」
「きょうだい、は」
――よるは、きをつけなければなりませんよ
けっしてそとにでてはだめ
おまえまでいなくなってしまったら
「・・・先輩?」
勇礼の怪訝そうな声に、はっとする。
しかし、真っ白になってしまった頭を切り替えるのには少し時間が要った。ごめん、なんでもない。取り繕うみたいになって、自分自身苦笑が浮かぶ。
「兄弟っていうか、妹分みたいな子ならいるけどネ」
「てこなさん、すか」
「そんなところ。いやァ、上のお兄ちゃんたちがあまりにも役立たずでネ、旅に出始めたばっかの時」
昔語りをしてみせた。
旅の始まりの、その際から。
楽しかったことと、つらかったこと。
明らかに後者の割合が大きかったけれど、なるべく面白おかしく。
勇礼も、叶も天河も、誰も目を輝かせた。自分たちの知らない、旅の話。六界が遠巻きに、不機嫌そうな顔をしているが、止めるほど野暮ではないらしい。
上手くやり遂せただろう。笑顔を作るのなんて、余りに慣れっこで。
だから、どうか。
どうか、その先には触れないで。
耳の奥で声がする
しかし今度のそれは、どうやら自分の心の声らしかった。自分の中にある、真っ暗な場所から響く。
とっくに忘れたと思っていた。いや、忘れられた、と思っていた。
どうして今更、こんなことを思い出すのだろう。
覚えていて良いことなんて何もないのに。
――よるは、きをつけなければなりませんよ。
まだ、名前もなかった、小さい頃の話だ。ぼうや、と母鳥は呼ぶ。
――けっしてそとにでてはだめ。きっと、たべられてしまうから。
母鳥は夜になるたびにそう繰り返した。ぎゅっと抱き寄せるようにしていたのは、そこに確かにある温もりを確かめたかったからかも知れない。
本当はいたらしかった兄弟は、産まれる前にみんな蛇に食べられたということだった。
どれも、闇の深い夜のことだ。
そうしてようやく生まれた小鳥は母鳥にとっては初めての子供で、ちょっとした奇跡だったようだ。
――ぼうや。ぼうや。そとにでてはだめよ。そとには、おそろしいものしかないのだから。
少し神経質なくらいに、母鳥は繰り返した。
真っ暗の森の中で、小さい身を更に縮めながらその言葉を聞いた。
夜目の効かない自分の眼では、どんなに見開いたってその闇の先は見えない。
ねえ、なんのおと?
――かぜのおと。
なんのおと?
――このはがこすれるおと。
じゃあ、あれは?
――とおくでだれかがけんかしているおと。
どれも、母鳥の胸の中で聞いた。柔らかな羽毛の温みだけを、頼りにして。
ある夜のことだった。
母鳥が、なにかきこえる、と言った。
残念ながら、いつも聞こえてくる音の他には、彼には何も聞こえなかった。どれだけ耳を澄ましても、感覚を研ぎ澄ましても無駄だった。
なにかってなに?と母鳥に聞き返した。
母鳥は答えずに、もう一度、なにかきこえる、と言った。
きっときのせいだといっても、頑なに、頻りにその音を気にした。
――ちょっとみてくるから。ここにいて。
ひどく優しい声だった。その張り詰めた気配に反して、穏やかにあやすような。
母鳥は巣を飛び出していった。
温かな気配が消え、冷たい風に晒される。独り取り残された闇の中は、とにかく恐ろしかった。
風の音が急に大きく聞こえる。
木の葉の音も。
一面の闇が、何もかもを呑み込む底なし沼のように思えた。きっと兄弟が呑みこまれたのもこんな夜だったのだ。
身を縮めて震えているうちに、夜が明けた。
昇った日は、また沈んで夜になって、再び朝が来るのを待つ。
そうして三日待った時、ようやく待つのが無意味らしいことを知った。
母鳥はきっと、もう二度と帰ってこない。
一人で生きなければならないと知って、とにかくこの場所を出なければ、と思った。
生憎、兄弟のように蛇に丸呑みにされて終わるのはごめんだ。
だって、何分の一という途方もない確立の末に、自分は生まれたのだから。
西へ行こう。
西の森の更にちょっと奥の野原には、小さくて弱いものがたくさん集まって暮らしていると、いつだったか流れ者が言っていた。そこに行こうと思った。
まだ、よたよたと飛びなれない彼には途方もない距離に違いなかったけれど、他の方法なんて思いつかなかった。一人で生きていくのなら、そうするしかない。
幸いといおうか、方向感覚だけには自信がある。いくら小さくても、それが脈々と受け継がれてきた血というもので、時間と運さえあればなんとかなるだろう。
「お母さんがいなくなったんだって?」「かわいそうに」、見知った鳥たちが訳知り顔で口々に言うのにも、早いところおさらばしたかった。
旅は、そう徒労ではなかった。
流れ者の鳥から、風の乗り方を習った。餌場も、その上手い取り方も。
縄張り意識というものが強い種族でも、余りに小さかったので、余程のことがない限り追われることもなかった。
しかし、一つ問題なのは、夜だった。
独りでいる夜は、決まってあの夜のことを思い出す。
母鳥のいなくなった夜のことを。
もしかしたら物音なんてなかったのかもしれない。或いは、母鳥だけにそれが聞こえたのか。少なくとも、彼には何も聞こえなかった。
人に捕まったのだろうか。
生まれなかった兄弟と同じように、蛇に食べられてしまったのだろうか。
それとも――ああ、きっとそうだ。闇に呑まれてしまったのだ。そうに違いない。
真っ暗の森のぽっかりと空いた木の洞の中で、小さい身を更に縮めながら夜が明けるのを待つ。心許なくって、寒々しかった。けれど、どうしようもなかった。
闇の中で音が聞こえる。
ねえ、なんのおと?
かぜのおと。
なんのおと?
このはがこすれるおと。
ねえ、おかあさん。
あれは、なんのおとだったの――?
「――ると。ほると!」
呼び戻されて、ようやく自分が寝ていたらしかったことに気が付いた。
「・・・秋菊サン」
「ストーブの前で毛布に包まって微動だにしないから、蒸され死んだのかと思いました」
「あはは、蒸し鳥?何ソレおいしそう」
秋菊の呆れたような溜息が聞こえる。
冗談だって、と努めて明るく返すけれど、その表情は険しい。ひた、と頬に触れた手が冷たく感じる点を思えば、相当長く炙られていたらしい。
寝汗でもかいていても良さそうだが、妙に、体の芯が冷えるような感じがしていた。
きっと気のせいだろうけれど。
「・・・夢でも見てたんですか?」
この人は、聡い。それとも、自分で思っているほど上手く取り繕えなかったのか。
そのどちらが答えかはわからなかったが、考えるには寝起きの頭は重すぎる。
毛布の柔らかな感触が、思えば少し懐かしい気がする。
でも、それ以上は考えないようにした。飲み込むように、そっと闇の中に押し戻す。
「さてね・・・見ていたような気もするし、見てないような気もするし。・・・忘れてしまったヨ」
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始めから設定していたのに、書いていいのかどうか迷いました。
結局母鳥が何故いなくなったかは本人も知りません。
後になって思えばちょっとノイローゼ気味だったのかな、とは思うけれど。
タマゴを云々は、LGのアーボの項目より。
それにしてもポッポ系は食う食われるの解説多い。
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